本気の自己紹介

はじめまして。

 

2010年に大学を卒業後、一貫して経営者様のサポートをしています。

 

性格は好奇心旺盛で、人を輝かせることが大好き、自分にはちょっと負けず嫌い。

そんな私が幼少期からどのように形成されたのか、ここで書いてみたいと思います。

 

 


広告とプロデュースに夢中だった幼少期

私は1987年に、鳥取県で4人家族の末っ子として生まれました。

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専業主婦だった母親の方針で、保育園や幼稚園には行かずに幼児期を過ごしました。

平日は、母親に付き添って大人同士の会話を聞いているか、

家でぼーっとテレビを見ているか、といった過ごし方をしていました。

大人たちからは、「行儀が良い子」と言われていたようです。

 

でも。

私自身は「みんなと同じように園に行って、友達を作りたいのに」と、さみしかったです。

そんなわけで、集団生活を初めて経験したのは、平均よりも遅めの小学校から。

まぁせっかくなので、これも強みに活かします!


そして、待ちに待った小学校への入学♪

 

小学生の頃に夢中だったことは、2つ。

1つめ:広告

海外に住む親戚から「日本の広告はおもしろい!」と言われたのをきっかけに、

毎日テレビCMを食い入るように見ていました。

 

テレビをみていても、「最近面白いCMないかなー」という視点で見ることが多く、

しまいには「マイベストCM」だけをビデオテープに録画して、完成したビデオを並べて1人でニヤニヤ。

そんなCMマニアに育ちました!

 

私にとってCMって、出てくるモノ・ヒトがめちゃくちゃ輝いて見えるんです。

商品の魅力をわかりやすく切り取って、それを15秒程度で最大限に輝かせてくれます。

また、CMに出演したことから「あの女優は誰?」とブレイクする現象も幼少期からみていて、

「CMって、モノはもちろん、出る人をめちゃくちゃ輝かせるんだなぁぁ!すごい!」

と、いつも感動していました。

当時はCMの専門雑誌も、毎月本屋さんで立ち読みしてましたよ〜。


それにCMって、「こんなメリットがあるから買ってね」というメッセージが、

キャッチーかつコミカルにまとまっていますよね。


私は小さい頃から、「言いたいことを簡潔に伝えること」になぜかこだわりを持っている子でしたから、

勝手にCMに親近感を抱いていたんだと思います。


2つめ:プロデュース

小学3年生くらいから、替え歌やオリジナルの歌を何曲も何曲もつくって、

友達にどんどん歌ってもらいました。


友達もノリノリで楽しんでくれて、気分はプロデューサー。


ソロで歌ってもらう友達もいれば、アイドルグループを結成することも(笑)。


小学5年生くらいになると、プロデュースの範囲も一気に広がります。

男子も女子も関係なく、興味がありそうな子達を自然に集めて、

架空のテレビ番組をつくって、配役を決めたり、番組の流れを決めたりと、本格的に。

(ニュース→CM→問題がある家庭のドキュメンタリー→天気予報…と、 しっかり構成を考えて、みんなに指示していました。)


そして、モーニング娘。も大好きで、みんなが誰担当になるか話し合いで決めて、

衣装もそれぞれが本物に合わせて、みんなでたくさん踊りました。


その頃、つんくさん・小室哲哉さんみたいなプロデューサーに強く憧れていました。


そのプロデューサーからデビューした人たちは、それぞれの個性を生かしてどんどん輝く。

どんどん可愛くなっていく!!


プロデューサーの彼らはどんな風に新人の魅力を引き出して仕事しているのかなぁと想像しながら、

当時の音楽番組を全てチェックしていた記憶があります。

つんくさんがモーニング娘。1人ひとりについて書いた書籍も何度も読みました。


その本を読んで、

「地味に見えるメンバーも、圧倒的な努力をしていたり、他の人にはない魅力がある。

 プロデューサーって、そうやって1人ひとりの光るところを見つけて声をかけて、

 全体がまとまるように配慮しながら適材適所で売り出していく、素敵な人だなぁ…」

と、より一層憧れるようになりました。


その気付きを、自分のプロデュースごっこにどんどん反映させていました。(自己満です!)


こうして、家ではCMマニア、集団の中ではプロデューサーとしての自分を確立したことで、

「どんなヒト・モノにも光る部分はある!」

「一人ひとりと話しながら、人を輝かせるのってめちゃめちゃ楽しい!」

と強く思うようになりました。


いっぱい悩んだ思春期

中学・高校の6年間は、バドミントン部に所属していました。


当初は「バドミントンなら緩くできるかな」と軽い気持ちで入部しましたが、全然違った!
私はスポーツが苦手だったこともあり、よく怒鳴られ、上下関係もしっかり叩き込まれ、厳しい部活動でした。


だからこの6年間は、部活と勉強で大忙し。残りの時間は恋愛に費やして終了!

…と言いたいところですが、いーっぱい悩みました。


女子同士のグループ争いもありましたし、高校は進学校だったので、成績で優劣をつけられるのもすごくストレスで。


「自分って何者なんだろう?」

「これから大人になる私たちって、世の中に対して何ができるんだろう?」

鳥取の世界は狭すぎるから、やっぱり大学は外に出たいよね。」


そんなテーマについて、仲の良いバドミントン部の友達とずーっと語ってました。


自分のことは好きになれなかったし、このままいなくなっちゃいたいなぁとか、ふさぎ込むことの方が多かった気がします。


そういえば、sweetboxの”Life is Cool”という曲には何度も励まされましたね。

 

“♪My life is so cool, my life is so cool

 Oh yeah, from a different point of view”


「見方を変えれば、人生って最高」という意味でしょうか。


うんうん。


見方を変えれば、悪そうに見える女の子にもきっと良いところはあるし、

ダメダメに思える私にも良いところはきっとあるはず。

悩みの数だけ、成長のチャンスがあるのかも。


「視点を変える」という考え方は、この曲にたくさん教わりました。
この6年間で仲良くしてくれた数少ない友達は、今でも私の親友です。


海外での経験

田舎特有の人間関係に疲れきった私は、「家を出る!」と奮起して大学受験をして、

晴れて宇都宮大学国際学部に入学。

待望の一人暮らしが始まります!


幼児期に一人の時間が人よりもちょっと多かった私にとって、

思春期に集団生活の中で感じたストレスは相当なものだったのでしょう。


大学で自由を得た気分になった私は、いろんな国に行きました。


インド、フランス、ドイツ、スペイン、エジプト、アメリカに行き、

階級・女性に対する差別、飢餓、貧困、戦争などを目の当たりにして、

「今まで見ていた世界がいかに狭かったか」を思い知らされます。


インドでは、たくさんの人たちが私を囲み、切り落とされた自分の指や足を見せつけて、何やら必死で叫んで来ました。


やっとの思いで会話ができた女性に「何をして欲しい?」と尋ねたところ、

「ただ、お金が欲しい」と言われた時は返す言葉がありませんでした。


また、フランスには一人で1ヶ月間滞在したのですが、

公共のバスに乗った瞬間に、現地の小学生たちから差別的な言葉でからかわれたり

(同乗していた先生が、生徒たちをものすごく叱ってくれたことも覚えています)、

電車に乗った時には、現地の男性3人組に囲まれて、芸者さんのパロディー動画を見せられたり

(毅然とした態度で返していると、次第に打ち解けて、最後には友達になりましたが)。

怖い思いもたくさんしましたね〜。


そんなフランス生活で私がやったことは、

「ダンス」と「日本食をふるまうこと」。


ホストファミリーの前でよさこいを踊ったり、日本食をつくりながら、つたないフランス語で

「日本もフランスも全然文化が違うけど、私はどちらも大好きだ」

と伝えることができました。


こうした海外経験を通じて、

「日本でいられる幸せをありがたく受け止めて、やりたいことは全部やろう」

と思いました。


突撃!情報は自分の足でとりに行く大学生

学生時代に頑張ったことは、「卒論と就活」です。


この2つは、栃木県から毎日のように電車で東京に通って、がむしゃらにやっていました。


卒論制作では、

都内のNPOに速攻でインターン生として飛び込んだことから始まり、

テーマに関わる重要人物4者(環境省経済産業省・大手電力会社・NPO代表)全ての職員の方に、

単独でインタビューに乗り込むことに成功しました。


1人の大学生の卒論制作のために、このような方々が貴重な業務時間を割いてくださるなんて…

今思えばありえないことだし、本当に感謝しています。


そして、就活!


「これからの人生に関わる大事な選択なんだから、会社のことを知らないと何も始まらない」

と考えた私がやったことは・・・


突撃社員インタビュー!

志望していた会社の前で待ち伏せをして、出入りする社員お一人お一人に声をかけ、

「御社の強みと弱みは何ですか?」「何で御社に入社したんですか?」「どのくらい残業するんですか?」

と、まぁ〜質問攻め。


 面接では、

「御社の社員、残業100時間って言ってましたよ!」「10人の社員様にインタビューして、私の思いは強くなりました!」

と、明るくインタビュー結果を発表していきました。


狙い通り、リーマンショック直後の就活氷河期において、面接官たちの爆笑と内定をいただくことができました。


こうして卒論と就活が終了して、ほっとしたと同時に、「人に話を聞くのって、楽しい!」と思いました。


そして、

・相手がどんな方でも、成果のためなら迷わず飛び込む

・どんなに笑われようと、「3分ください!」とお願いして堂々と質問する

という私らしさが、ここで出来上がりです。


自分らしく働くってなんだろう

新卒では、総合電機メーカーに入社しました。

 

配属されたのは、工場の経営企画。

工場内のお金の動きを取りまとめて計画を立てたり、計画と実績の差異を偉い人たちに報告したりするお仕事です。


エクセルで数字とにらめっこする毎日でしたが、人と話している方がずっと楽しかったです。


だから、朝早く出社して生産現場を歩いて、現場の皆さんと話をして、たくさん笑わせてもらいました。


また、英語が好きなことを買われ、入社3年目では、マレーシアに1ヶ月間滞在しました。


既存の工場のシステムを新しく作り直すのがミッションだったため、

あまり現地の人たちに歓迎されていないのでは…とさみしく感じることもありましたが、

何人かの現地社員の方はたくさん話をしてくれました。

多民族国家のマレーシアで働くのは、すごく楽しかったです。


仕事の進め方も、コミュニケーションの取り方も、日本とはまるで違って、刺激的でした。


でも・・・

帰国して、次第に「自分にこの会社は合っていないのかも」と思うことが続きました。


だから、会社のトイレで大泣きしたり、夜遅くに飲みに出かけてストレスを発散したり、会社の先輩に愚痴を聞いてもらったりしながら、

「私、なんとかがんばれてる!」と思い込むようにしていました。


そんなある日。朝の通勤中に駅で倒れる、というプチ事件が起こります。

原因は貧血でしたが、直感で

「ずっとこのままだと、自分が自分じゃなくなってしまう」と危機感を持ちました。


同じタイミングで、当時お付き合いしていた人が地方へ転勤することになり、

「私もこの機会に東京を出てもいいのでは?」

と思いはじめます。


そして、相手に相談することもせず、結婚するという保証もない中で、ひとりであっさり移住を決めてしまいました。

周りは皆「もったいない」と言いましたが、やっぱり、自分らしく働いてみたかったんです。


幸せな経営者との出会い

移住をすると決めた途端、トントン拍子で結婚が決まり。(パチパチパチ!)


転職活動をして、1つの会社とご縁がありました。

それが、今の会社です。


大学生の時に超憧れていたそこの社員の方が、

「うちは副業オッケーだから〜」と言いながら自由に働いていたこと。
「自ら機会をつくりだし、機会によって自らを変えよ」という創業者の言葉に、学生時代の自分を重ねられたこと。
面接でめちゃくちゃ「お前はちゃんと自分で意思を持って仕事できる人間か」を尋ねられたこと。


最初は記念受験のつもりでしたが(ごめんなさい〜!)、

面接を経て、どんどん「ここなら自分で思いきり仕事できそう」と思ったのでした。


転勤族でずっと働ける保証はなかったので、契約社員としての入社です。

だから、お給料は激減(汗)。でも、自由に働けるならいっか〜と楽観的な自分もいました。


入社すると、早速上司に「前職の経験を活かして、経営者と一緒に仕事したい」とリクエスト。

「いいよ〜」と言われ、入社わずかで社長さん相手の案件をどんどん任せてもらいました。


仕事内容は、新卒採用をする企業への広告営業です。

(小学生の頃に広告大好きだったのは、ちゃんと将来につながっていたのですね!)


色々な社長さんと、どんな学生を採用できたら事業が成長するか、

そのために広告でどんなことを魅せると良いのか、たくさんお話しました。


お話するなかで、

「自分はこの事業を一生かけて極めたいし、社員とも一生付き合っていきたい」

「今まで一人で会社を大きくしてきたけど、これからはみんなで頑張りたい」

など、いろいろな社長様の想いに触れることができました。


いろいろな会社を見ながら、

「トップが社員に愛を持って、幸せそうに仕事している会社は、従業員のみんなも、従業員のご家族も、みんなが幸せそうだ」

ということを実感するようになりました。


「こんな経営者になりたい」と、社会人になって初めて思える方ともたくさん出会いました。


今でも、事業や従業員への想いがある経営者の方とお話するとワクワクします。

もっと勉強して、もっと良いお手伝いができるようになりたいと真剣に考えています。


数字ばかり追いかけるのは、やーめた!

 社会人になってからの私は、経営企画・営業職というそれぞれの立場で、

「他人に決められた数字目標と比較して評価されるプレッシャー」

「数字を出せるかどうかで自己肯定感が左右される自分」

に何度も悩まされてきました。


そんな時、人生最大の悲しみにぶち当たったのが、2017年のこと。


子どもを流産してしまったのです。


医師に涙を流しながら原因や対策を聞いても、何も教えてもらえず、淡々と手術されて終了。


毎晩一人で大泣きすることしかできなくて、やっとの思いで毎朝出社するものの、商談しても失注続き。
「数字が出せない私なんかが会社にいて、本当にごめんなさい」と、自分を責めてばかりでした。


この時、当時小さかった長女を抱きしめるたび、すごく温かく感じて号泣していました。
「人間って温かい」「自分の大切な人が生きていてくれるだけで、幸せに感じられる」

ということを、長女から教わりました。


 ふと、何かが吹っ切れたように、

「もう、数字ばかり追いかけるのは終わりにしよう」って思いました。


数字よりも、目の前の人が元気かどうかや、どんな想いで過ごしているかを知ることの方が、

私にとってはずっと価値があることだとようやく分かったからです。


それから、仕事でお客さんが夜遅くまで働いていると知った時には

「ちゃんと休んでくださいね〜。私から上司の方に言いますよ?(笑)」

と声をかけるようになったり、

「今日はお疲れのようなので、打ち合わせはここまでにしましょうか」

と切り上げるようになりました。


他にも、目の前の人にストレスの強そうなことが起こったときは、「今どんなお気持ちですか?」と寄り添うようになりました。


商談の時も、こちらの話をする時間はほんのわずかで、

「どんな仕事をしている時が楽しいんですか?」「これからやりたいことはありますか?」

などとお客さん個人に興味を持った質問をたくさんするようになりました。


その頃、たまたまコーチングを受ける機会があり、そこでの質問をそのままお客様にしていました。
そうすることで、お客様が嬉しそうにお話してくれるようになり、仕事もうまくいくようになりました。


そして、コーチングを学びはじめる

「もっとコーチングができるようになったら、お客様にもっと喜んでもらえるのかな?」


そう考えた私は、2020年夏、コーチングスクールへ通い始めます。


スクールでは、

コーチングでは未来起点の質問をする」

「すべてはクライアントの中に答えがある」

ということを学びました。


そこで、気付きます。

コーチングって・・・私がこれまで大切にしてきた考えと一緒だ。


相手が未来にもっと輝くための答えを、相手がすでに持っていると信じて、あらゆる視点から質問をする。

そうすることで、相手が自ら自分の可能性に気づくことができ、自ら輝くことができる。


これこそ、本来の私の大切にしたいことだ!と感動しました。


そこから、毎晩のようにコーチングをする日々が始まりました。


すると、

コーチングを受けてくれた人たちが最初は「やりたいことはあるけど、自分には何もないし…」とモヤモヤ顔だったのに、

「本当の自分の可能性に気づけた」「今決めたことを早くやりたい!」

といいながらパーッと輝いた顔でセッションを終了することを何度も体験しました。


コーチングを通して、小学生の頃にやりたかったこと「その人の魅力を、その人自身に気付いてもらい、どんどん輝かせる」

を、どんどん実現できるようになりました。


数字ばかり必死で追いかけなくても、

人の可能性を無限に信じて、未来に向けた会話をどんどんしていくことで、

自分も相手もワクワクして仕事できると体感しました。


最初は「自分のお客様のため」に学び始めたコーチングでしたが、

「もっと輝いた人を増やすため」に、本格的な副業としてスタートすることに決めました。


私がコーチングで提供できること

私がコーチングでできることは、心身のケアをさせていただくことだと考えています。


コーチングさせてもらう人たちには、

「話していると落ち着く」「声や口調が穏やかで、話しやすい」と言ってもらえるので、

それを活かした対話をできればと思っています。


でもね、コーチングでできることって、それだけじゃないんですよ(^^)


・コーチと会話することで、今の自分が、本当に素晴らしいと気づく
・自分を大切に思えることで、周りも同じように大切にできる
・自分は周りの人たちに恵まれていると思えることで、 本当に目指したい未来に向けて、もっと動いてみようと思える


こんな良い循環を生み出せるのも、コーチングなのです。


今後は、自分のコーチングを経営者の方々にさせていただくことで

「トップの方が幸せになれることで、従業員もご家族も幸せになれる」

といった世界をもっと実現したいと考えています。


それに加えて、プロデューサー気質のある私らしく、

人と人をお繋ぎしたり、日々アンテナをはっていているからこその情報提供をさせてもらったりしながら、

「お客様ご自身も気づいていない、お客様の魅力を最大限に輝かせるためのご提案」

もできればと思っています。


「その発想はなかった〜」は、私にとって究極の褒め言葉です!


コーチングは、

お客様の背景や未来を無限に想像する力、

お客様の心の状況を瞬時に見て反応する瞬発力、

これまでの全ての生き方を受け止める人間力が問われるものだと考えています。


だから、私はこれからも一生をかけてコーチングを学び続けたいと思っています。


残念ながら、過去の自分のような「数字ばかり追いかけている人」は、

これまで旅をした海外にも、日本国内にも、まだまだたくさんいます。


コーチングスキルで「安心して話せる状態」を整えながら、

もっと幸せに生きられるように心身のケアをして、輝かせるようにプロデュースできれば、と思います。


ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。